選択肢と進化を想う

 

前回のブログの続きをもう少し考えてみた。
前回はこちら

「自然界で捕食のためじゃないのに無駄に息き切らして走るのは人間だけだ。だからランニングなんて自然の摂理に反している運動はやめるべきだ」っていう持論を唱えている知人がいます。

分からなくもない。でも「高度に進化したせいで色々あるわけよ、人間には。趣味のランニングをすることで心の平静が保てるんだからそんなこと言うなよ」ってその知人には言ったけど、高度に進化したから色々あるわけで、無駄に動かなければ平静を保てないようになったのは進化の代償と考えると、それって進化と言えるのかどうか疑問だ。

 

この疑問について、いつもお世話になっている方が、「やらないで済むことをわざわざやるのは高度に進化した証。無駄を承知であえてするのはカッコイイ」という持論を示されました。

いいね。そういう考え僕は好き。

成功までの近道なんて言う誘い文句が巷に溢れています。確かに正攻法は良いものです。しかし無駄や寄り道をすることで効率やゴールは遠のくかもしれませんが、人としての魅力の欠片を見つけられそうと思う。

どちらが良いとするかは人それぞれ。

「高度に進化した結果、ランニングをしなければ心の平穏を保てない。それは進化と言えるのか」という疑問についは、人間視点でいえば進化して証と言えるし、地球上の生物視点でいえばそうは言えない。という2つの答えがあることが答えだろう。

2つの答え、正攻法、効率の良い〇〇、無駄、寄り道…….それは生き方の選択肢が多いともいえる。1つの種に生き方の多様性があるってことは、やはり進化なんじゃないだろうか。

なんかややこしい文章になってしまったな。お付き合い有難うございます。

明日も皆様お体に、愛と期待を…..

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