無駄にならないを想う

今日は先日から続いている進化の話。
前回はこちら
良いものになるを想う

前々回、前々前回はこちら
進化とランニングを想う
選択肢と進化を想う

また取り留めのない文章になりそうだけど良かったら最後までどうぞ。

人間は進化しているのかどうなのかと言う疑問については、

最短に進むことだけが良いのではなく、無駄や寄り道も良い意味があったりする。そして最短もあり、無駄寄り道もあることは、人間には生き方の選択肢が多くあるということで、それは他生物と比べ高度に進化しているの証

という考えに行き着いていたわけだけど、
「無駄や寄り道が良いものになるとは限らないではないか。それらが良いものになるには?」と新たな疑問発生。
今日はそれについてまとめていこうと思う。

無駄が純粋に無駄になることはあると思う。「結局無駄だったことが分かった」と言う意味では良いのかもしれないが、それでは進化の証、選択肢が多くあるに当てはまらないような気がするんだ。

無駄から得られた何かのヒント。それが見つかれば良い無駄と言えるし、生き方の選択肢の1つだったと言えるだろう。

では良い無駄になるには。ヒントを得られる無駄になるには。僕は精神的に余裕が有るか無いかだと思う。

心に余裕が有る時、普段気が付かないことが目に入ってきたり、人の行動が分かったりしませんか? 心の余裕は視野の広さだと思うんだよね。狭い視野だから何も見つけられない。結局無駄な時間を過ごしてしますことになる。

心に余裕が有る時、目の前の選択肢どれを選んでも広い視野で何かのヒントを得られる。だから無駄や寄り道も良い意味があったと思えるのではないだろうか。

明日も皆様お体に、愛と期待を…

 

 

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