進化と選択肢と心の余裕を想う
今日も先日から続いている進化の話だ。今日はまとめみたいな内容です。
無駄にならないを想う
良いものになるを想う
選択肢と進化を想う
進化とランニングを想う
前回までの流れをまとめると、
「自然界で捕食のためじゃないのに無駄に息き切らして走るのは人間だけだ。だからランニングなんて自然の摂理に反している運動はやめるべきだ」っていう持論を唱えている知人がいます。
分からなくもない。でも「高度に進化したせいで色々あるわけよ、人間には。趣味のランニングをすることで心の平静が保てるんだからそんなこと言うなよ」ってその知人には言ったけど、高度に進化したから色々あるわけで、無駄に動かなければ平静を保てないようになったのは進化の代償と考えると、それって進化と言えるのかどうか疑問だ。
これがスタート。それが、
- 人間は行動する時に、正攻法、効率の良い〇〇、無駄、寄り道……と行動の選択肢が多い。それは生き方の多様性があると言えるので、やはり進化している証だ。
- しかし選択肢が必ずしも必要なものになるとは限らず、無駄で終わることもある。(無駄があることは進化と言えるのか?)無駄にならないようにするにはどうしたらいいか?
- 心の余裕を持つこと。心の余裕は視野の広さ。狭い視野だから何も見つけられず、結局無駄な時間を過ごしてしまうことになる。心に余裕が有る時、目の前の選択肢どれを選んでも広い視野で何かのヒントを得られる。だから無駄にはならない。
進化≒生き方の選択肢の多さと考えるようになったわけだけど、心の余裕があるか無いかが重要だと行き着いている。
では次に、心の余裕を保つには?考察してみようと思う。