罪と穢れを想う 豊橋 整体
昨日は今年の伊勢神宮初参拝。もう5.6年の恒例行事だ。
神社に参拝する目的は、神域に入ることで罪を払い、穢れを落とす。それにより心をリセットするというわけだが、もっと詳しい解釈を神職の方に聞いたので紹介したいと思う。
”罪”とは、重ねた悪い行いだが、
”包み”というふうに解釈できるようだ。
重ねた悪い行いや人間関係のしがらみ、変なプライドなど、多くのモノに包まれて身動きが取れなくなっていることを罪(包み)と考えられるとか。
そして穢れ。忌まわしく思われる不浄な状態と言うことだが、これは気が枯れた状態(気枯れ)と言い換えることが出来る。
更に、神社には参道があるが、これを産道と置き換えてみる。
まとめると、
神域で静かに手を合わすことで、罪に包まれ気枯れた心を開放し、精気で満たす。そして産道を通り現実に戻ることで、生まれたてのような状態でしっかりと生きていく。
伊勢神宮に関わらず参拝にはそういう意味があるようだ。
この仕事を通して、心の状態が良くなるとで痛みや不調が改善した方を多く見てきた。参拝すれば痛みが消えるというものではない。しかし手を合わすという行為は、心の在り方をリセットすることは出来るような気がする。
今、心身の不安や不調で悩んでいる方がいらっしゃれば、伊勢神宮はもちろん氏神様や砥鹿神社など、地域の神社を参拝してみてはどうだろうか。手を合わすことが改善のきっかけになるかもしれない。