”指導者ファースト”と”選手ファースト”から、スポーツの本質”人間教育”を考えてみる②

前回の続き

自主的に能力を伸ばせる選手に育てていく。それこそがスポーツの本質である”人間教育”に繋がる。

口だけではない、人間教育を念頭においた指導者が野球界でも増えて欲しいと願います。

………と書いては見たものの、実は私、”自主性を重んじた選手ファーストの指導”に異議を唱えています。

実は、指導者ファーストの方が選手的にも良いのではないかと考えているのです。

今回は指導者ワーストについて書いていきます。

 

自主的が良いのは確かだ。しかし、自主的に出来る選手ってあまりいませんよね?

「子どものアイディアを大切にしている」

「プレーを選択するのはすべて子どもたちだ」

……….

・アイデアを出せる子どもってそんなにいますか?

・しっかり選択できる子どもってそんなにいませんよね?

 

選手の自主性を重んじることで、自分で能力を伸ばせる人間に育てることが出来るでしょう。それは人間教育というスポーツの本質であります。

しかし、多くは ”自主的にとは言っても、自分でどうやっていいか分からない” 選手がほとんどではないでしょうか。

 

頭の良い人は、勉強の仕方を知っています。

それと同じように、

トップに行く選手は、”どうやったら上手くなるか分かっている” と私は思います。

しかし、大半はそれが分からず、ただ練習をするといった状態ではないでしょうか。それでは成長に時間がかかりすぎるという弊害が出てきます。

学生野球  の期間(ここでは中学、高校)は意外と短い。

自主性に任せていては間に合わないのです。

ですから、伸ばし方が分からない選手には、どんどんヒントを出し、指導者が強く引っ張っていく、”指導者ファースト”が絶対に必要だと私は思うのです。

何でもかんでも、自主性を重んじていては、才能を埋もれたままにしてしまうこともあるはずです。

異論を唱えられがちな指導者ファーストだとしても、才能を見つけてやり、伸ばしてやることで、見えなかった世界を見せてやることもできます。それも人間教育ではないでしょうか。

ですから、”自分でどうやっていいか分からない” 選手の方が多い現状から、私は指導者ファーストの方が必要だと考えています。

とはいうものの、今の野球界の指導者ファーストは本当に選手の才能を伸ばしているかと言えば、そうは思いません。

悪い指導者ファーストが根付いていると思っています。

次回は、選手にとって良い指導者ファーストとは?

という内容で書いていこうと思います。

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